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■2011年3月12日~3月18日頃までの避難記録

今頃ですが、2011年3月12日から18日頃までの、原発事故での避難生活の記録画像を中心にUPします。
役場やTV局には渡していましたが、ネットにUPするのには少し考えるところがありました。
でも、取りあえず記録の共有としてUPします。


・2011年3月12日09時01分撮影
震災の翌日、楢葉町の上空に飛来した自衛隊のヘリの1機です。
1103012_09時01分撮影_楢葉町上空


・2011年3月12日09時51分撮影
義兄のクルマで、楢葉町からいわき市の避難所に向かうところです。避難経路の35号線は約40kmに渡り渋滞し、クルマの長い列でした。今(2012/7/13現在)でも渋滞の列をGoogle_Earthで見ることが出来ます。
この日の朝は、義兄と行方不明の姉の捜索をし、連絡の取れない近隣の親戚の安否確認をしていましたが、役場から福島第一原発が危険な状態とのことで、いわき市の平第六小学校、中央台南小学校、草野中学校のどれかに避難するよう指示がありました。義兄のクルマに、私・父・姪・甥が同乗。(その後も5人で行動)
震災で国道6号線が通行出来ず、西側の国道35号線を移動しました。
110312_09時51分撮影__楢葉町からいわき市へ避難


・2011年3月13日16時34分撮影
避難所の、いわき市立平第六小学校体育館内です。左奥に、説明に来た東電社員が見えます。
全員が着の身着のまま。毛布と食糧が支給されました。電気は大丈夫でしたが、水道はストップしていたので、トイレはプールの水を汲んで流しました。風呂やシャワーはなく、この後1週間以上風呂に入れませんでした。
ここでの避難中、子供達にヨウ素剤が配布されました。ヨウ素剤が配布されなければならない状況に、全員に緊張が走りました。
私は以前、18年間原発で計測制御関係の仕事をしていたので、原発についてはそれなりの知識はありますが、国からの情報があまりに少なく、また曖昧なため現状の判断が非常に難しかったです。
原発が次々に爆発し、情報がないので水素爆発ではなく圧力容器の爆発だと思い、ここでは常に死を覚悟しました。
110313_16時34分撮影_避難所_いわき市立平第六小学校体育館1


・2011年3月13日16時38分撮影
説明に来た東電社員です。
当人たちも現状をよく把握しておらず決定権も無いので、取りあえずの謝罪であまり意味の無い説明でした。
当然、こんな状況に追い込まれた避難民の目は厳しいものでした。
私が、原発制御最後の生命線である「非常用のディーゼル発電機は大丈夫なのか? 非常用電源は生きているのか?」と質問したら、「非常用電源は大丈夫です。動いています。」と答えました。
しかし実際は、建屋地下にある非常用ディーゼル発電機は海水にのまれ、非常用電源は死んでいました。
非常用電源が生きているのと、死んでいるのとでは状況が全く違います。(正に現場では決死の作業が続いていました)
後日、嘘の答弁だったことを知り、非常に頭にきました。
110313_16時38分撮影_避難所_いわき市立平第六小学校体育館_東電説明3


・2011年3月13日16時50分撮影
同じく、体育館内。私たちは、この2階にいました。
ちなみにこの避難所が3回目の場所になります。
(1回目:3月11日_楢葉南小学校体育館,2回目:3月11~12日_Jヴィレッジ)
110313_16時50分撮影_避難所_いわき市立平第六小学校体育館2


・2011年3月14日11時24分撮影
同じく、いわき市立平第六小学校を校庭から撮影。
半ば開き直っていましたが、目に見えなくとも確かに放射性物質は降下しています。
110314_11時24分撮影_避難所_いわき市立平第六小学校2


・2011年3月17日14時02分撮影
役場の指示で、楢葉町の姉妹町である福島県大沼郡会津美里町に避難することになり、その移動中のバスの中です。
110317_14時02分撮影_いわき市から会津美里町へ避難1


・2011年3月17日15時42分撮影
同じくバスの中から。楢葉町やいわき市は、雪があまり積もらないので、会津に入り窓から見える積雪に、失礼ですが「スゴいところまで来てしまった」と思いました。
110317_15時42分撮影_いわき市から会津美里町へ避難2


・2011年3月17日16時00分撮影
会津美里町に避難することになり、出発前に全員スクリーニング(汚染検査)を受けました。
検査を受け、異常がなければこの証明書が発行されます。(様式は色々)
これがないと次の避難所に入れないどころか、病院でも提示を求められ、持っていないと診察を拒否される事があります。
110317_16時00分撮影_スクリーニング証明書


・2011年3月18日16時08分撮影
会津美里町の水田風景です。雪がまだまだ残っています。
110318_16時08分撮影_会津美里町の水田風景


・2011年7月25日15時08分撮影(後日撮影し直し)
4回目の避難所の会津美里町農村環境改善センターです。
避難中は色々な方に慰問や炊き出しをして頂き、とても有り難く、そして助かりました。
中でも、『京都府心のケアチーム』と『せたがや災害ボランティア』の方々は思いで深いです。
CA3I0137会津美里町農村環境改善センター


・2011年4月6日10時48分撮影
同じく改善センター内。地元の児童クラブより、寄せ書きと千羽鶴です。
子供たちの手加減なしの書き込みが、なんとも。(^^;)
110406_10時48分撮影_改善センター内_児童クラブより寄せ書き千羽鶴


・2011年4月6日10時49分撮影
農村環境改善センター内の場所割りです。
私たちは体育館の2でした。避難中は環境が悪くて風邪をうつされ、1ヶ月半もひいていました。
DSC00529会津美里町農村環境改善センター


・2011年3月18日09時46分撮影
避難生活中、自分がナイフで作った耳かきです。
生活物資には大変難儀しましたが、たまたま仕事用のナイフ(丸章工業のエムカスタ)を一本持っていて、これがとても役に立ちました。やはりナイフは「凶器」ではなく、「道具」です。
DSC00463耳かき製作


※ここからは、避難中に線量計(RADEX_RD1008)で測定した場所等になります。
・2011年7月19日09時06分撮影
福島県二本松市_東北自動車道『二本松バスストップ』:0.78μSv/h
1107190906二本松バスストップ


・2011年7月19日11時17分撮影
福島県福島市_福島駅東口商店街交差点:1.06μSv/h
CA3I0129福島駅東口商店街


・2011年7月19日13時14分撮影
福島県郡山市_福島県トラック協会県中研修センター:1.40μSv/h
DSC00947郡山市


・2011年7月19日15時24分撮影
福島県郡山市_宇部緑地:1.32μSv/h
CA3I0131郡山市


・2011年7月19日15時50分撮影
福島県郡山市_JR東日本磐越西線の喜久田駅:0.45μSv/h
CA3I0133郡山市きくた駅


・2011年7月26日06時03分撮影
これは、知り合いが楢葉町の上繁岡地区から持ち出したバイクのシート部です。
γ線で1.19μSv/h、β線は測定範囲の上限を逸脱しています。換算すると、少なくとも約2,560Bq/kg以上になるかと思われます。
所有者は汚染状況を知らずに乗っていましたので、最低3回は、オレンジピール入りの洗剤で洗浄するよう言っておきました。オレンジピールは除染に効果があり、原発内でも使用されていましたが、なぜか国や民間の除染の話では耳にしません。(それだけ素人が除染に携わっているともいえるかも)
除染は大変面倒で、原発時代に、体表面が汚染した人が管理区域から退域出来るレベルまで落とすのに、シャワーで体を洗い続け11回目の測定でようやく退域出来た、という話も聞きました。福島第一原発か第二原発での話です。
水を掛けて落ちるのだったら誰も苦労しません。
DSC01038楢葉町上繁岡から持ち出しバイクのシート部(β線振り切れ)


※これはついでのついで。
避難生活も2ヶ月ほど過ぎると心にゆとりが出来て、こんな雑巾も作れるようになりました。(^^;)
DSC00877.jpg
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